退職した父の引き出しを整理していたら、二つ折りのメモ用紙が出てきた。父の字で、日用品がいくつかとお米が二袋、最後の行には「林林薬局」と書いてあった。何を買ってほしいのかは書いておらず、週末の外出ついでに見てきてくれとだけ言われた。その場ではそれ以上聞かず、メモをポケットにしまったけれど、頭の中にはとても現実的な疑問が浮かんだ。名前ひとつで、いったい何が判断できるのだろう。
父の習慣はこうだ。買いたいものは書き留めるが、用途まで説明してくれるとは限らない。最近よく疲れると言い、眠りも浅く、昼間はじっとしていられないので、自分でネットの健康食品情報をあれこれ見ていた。私が代わりに結論を出すつもりはない。ただ、リストに販路の名前が出てくるということは、どこかの段階までは調べが進んでいるのに、「ここで聞いてもいいのか」という迷いで止まっているのかもしれない、と思った。
そのメモをテーブルに広げて、まずしたのは商品の検索ではなく、情報源の確認だった。名前そのものは手がかりにすぎない。本当に確かめるべきは、実店舗なのかネット販売なのか。営業情報や連絡先がきちんと示されているか。扱っているのは食品か、健康食品か、それとも処方箋が必要な薬品か。この三つを分けておかないと、その後のやり取りが全部ごちゃ混ぜになってしまう。
その晩は食卓で父と並んで座り、彼の疑問を一つずつ書き出した。知りたいのは「こういうものを長く続けて摂ってもいいのか」「普段の慢性疾患の薬とぶつからないか」「パッケージにすごいことが書いてあったら、どの行を見ればいいのか」ということだった。私はそれには答えず、医師か薬剤師に、今飲んでいる薬、健康食品、買おうとしているものまで含めた全体を見てもらってから相談すべきだと伝えた。
翌日、父がかかりつけの薬局へ薬を受け取りに行くとき、あのメモも一緒に持っていくように頼んだ。最初は少し嫌がっていた。こんなことを聞くのは恥ずかしいと思ったらしい。私は、問題は恥ずかしいかどうかではなく、手元の情報が十分かどうかだと伝えた。帰ってきた父は一言だけこう言った。同じ名前でも、店名のこともあれば、ブランド名のこともあれば、誰かの文章に何となく出てきただけのこともある。その違いは大きい、と。
これは私も後からようやく腑に落ちたことだ。人が情報を探しているとき、本当に必要なのは答えそのものではなく、質問できる相手であることが多い。父が林林薬局とリストに書いたのは、自分に「あとで片づける」ための印を残したようなものだった。何を売っているかと焦って推測するより、まず合法に登録された薬局か、相談できる薬剤師がいるか、製品の出所や表示情報を示せるかを確認する。これらはすべて調べられることだ。
その後、よくある誤解についても話した。「健康」という言葉を見ると安全だと思い、「天然」と書いてあるとたくさん摂ってもいいと思う人が多い。しかし食品、健康食品、薬品は法規上そもそも別の区分で、表示の仕方も、うたえる内容も違う。自分が買おうとしているものがどの区分なのかすら説明できなければ、専門家と話すのは難しい。だからリストには品名だけでなく、用途や頻度、今使っている薬も一緒に書いておくといい。
あのメモは結局、買い物リストにはならず、質問リストになった。父は聞きたいことを三つに分けた。医師に聞くこと、薬剤師に聞くこと、自分でネットで調べればいいこと。相変わらず疲れやすく、何とか調整する方法を探したいとも思っている。でも少なくとも、どの話は聞いていいのか、どの話はまず保留すべきかを分かっている。あの名前については、答えとしてではなく、買う前に自分が何を聞いているのかをはっきりさせようという注意書きとして受け止めている。
もしあなたも家族の引き出しで似たようなメモを見つけたなら、私の勧めは簡単だ。すぐ注文しようと焦らないでほしいし、すぐ否定もしないでほしい。疑問を書き出し、今使っている薬と健康食品のリストを持って、医師か薬剤師に相談してほしい。販路の名前はあくまで出発点で、買うかどうかを本当に決めるのは、表示と出所、そしてあなた自身の体の状態だ。そうすれば速くはないけれど、少なくとも一歩一歩は確かなものになる。
問題リストを3つに分類するやり方は悪くないけど、「自分でネットで調べる」のカテゴリをどうさばくかが、たぶん一番崩れやすいところだよね。