英語が苦手だったあの頃、海外出張で一言も話せず、ただうつむいてメモを取るだけの自分が情けなかった。TOEICの点数は伸び悩み、オンライン英会話も三日坊主。転機は、先輩の「フィリピンで3ヶ月みっちりやれば変わるよ」という一言。半信半疑で手配した留学が、想像以上に人生を切り拓いてくれた。
マニラの空港に降り立った瞬間、湿った熱気と騒音に圧倒された。学校はリゾート地セブ島ではなく、地元学生が通う首都圏の語学学校を選んだ。ここが正解だった。寮の同室はベトナム人と韓国人。最初の一週間はジェスチャー交じりのブロークン英語で必死だったが、彼らが「間違いなんて気にするな」と笑い飛ばしてくれた。日本人特有の完璧主義が、ここでは邪魔だと気づいた瞬間だ。
カリキュラムの核はマンツーマン授業。1日5コマ、先生と密室で向き合うのが最初は拷問に感じた。「今日の朝食は?」という単純な質問すら頭が真っ白になる。でも先生が魔法をかけてくれた。私のつたない単語を拾い、正しいフレーズに組み替え、同じシチュエーションで何度も反復させる。三週目にある変化が起きた。頭で翻訳せず、反射的に言葉が飛び出すようになったのだ。特に効果的だったのは「サバイバル英語」の実践授業で、市場で値切り交渉したり、ジプニー(乗合バス)の運転手に道を尋ねる課題。リアルな失敗が最高の教材になった。
ある夜、寮の仲間と路地裏の食堂に入った。店主のおばあさんが「お前、日本人か? 広島に兄弟がおるんじゃ」と訛りの強い英語で話しかけてきた。原爆の話になり、思わず「日本の戦争責任についてどう思いますか」と問うた。固唾を呑む空気の中、彼女は静かに答えた。「過去より今の関係が大事じゃろ。君はいい子じゃ」。この会話で、言葉は道具ではなく「人間を繋ぐもの」だと痛感した。
帰国時のTOEICは250点アップの785点。数字より大きかったのは、ミーティングで初めて反論できた時の達成感だ。フィリピン留学の真価は「間違える勇気」を叩き込まれたことにある。あの島国で、貧しくても笑顔を絶やさない人々が教えてくれたのは、言語習得の本質は完璧さより「伝えたいという熱量」だと気づかせてくれたことだ。
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